坂口勇先生

 

稲城の梨生産組合では、その母体となる出荷組合が設立130周年を迎えます。
それに伴い「130周年記念誌」を作成しております。
私は編集委員をしております。
稲城の梨の指導者を振り返るページがあり、そこに出てくる人物が坂口勇先生です。
坂口勇先生は多摩川沿岸の梨組合へ「長果枝剪定」の普及に尽力された方です。
同じく昭和20年代に、長野県伊那の桃沢匡勝先生も長果枝剪定の指導で全国を回っていました。
梨作りの先輩の中には、桃沢先生を支持する方と、坂口先生を支持する方がおります。
どちらが、指導に貢献されたのかを確認するために調べてみました。
坂口勇の著書に「梨の増益栽培法」1954年 があります。国会図書館のデジタルライブラリーにて、閲覧することが出来ました。
その中にこのような文節があります
「最近各地の果樹研究同志会が中心となって、害虫の発生状況を調査観察し、これを基礎として、計量的に全村同一歩調で薬剤散布、その他を実施し、非常に優秀な成績をおさめている産地が出現したことは誠に喜ばしい。例えば鳥取県では東伯郡八橋町(中心人物 堀江真澄氏)、長野県伊那(中心人物 桃沢匡勝氏)」などは特筆すべきものである。」
又、書の巻頭では「筆者が日本なしの栽培に関し、多摩川梨の先覚者、上原子之吉氏梨園で指導を受けてから38年の歳月は流れた。その間、筆者の経験即ち、梨樹から教えられたものを肉とし、諸先生(菊池秋雄・富樫・五味淵先生など)並びに先輩知友からのご教導を骨としたものが本書である。而して本書の内容は
  1. 埼玉県に昭和23年 果樹栽培研究同志会が結成されて以来、毎年数回講話又は、実施指導を行った際の原稿を主体としたため、文体に一貫性を欠いたこと。

  2. 筆者が浅学且つ文才に欠けたために講話の際とは勝手が違い、随所に究明を要する部分が読み出し纏りにかけた点があること

  3. 東京付近の長十郎梨の栽培に基礎をおいたので気候・土質・地勢を異にする地方では、その樹齢・品種に適応するよう、実施にあたっては研究工夫されたいこと。

等を念頭に置いて本書を利用して欲しい」
この文節にある、上原子之吉とは川崎市菅農協管内で技術指導を行った生産者です。大正中後期には青年補習学校で職業教育の一環として行われた梨栽培の講師を担当し、産地に大きく貢献した人物です。
一方、桃沢匡勝氏の著書「果樹とともに50年」1978出版 に次のような一節がある。
「私は、昭和の初期に静岡県の富士ナシ、東京都の玉川ナシ、千葉県の粕井(現市川市)地方のナシと当時東京市場へ出荷される代表的なナシ産地を数度視察して興味ある事実に気がついた。栽培技術は前記の順位のとおりであるが、土地の深さは全く逆順位・・・・・・」
これらのことから、わかるのは、
  1. 坂口勇先生が多摩川梨産地の研修をスタートとしてなし研究を始めていること。

  2. 坂口勇先生は東京付近の長十郎梨栽培に基礎をおいたという文節から、執筆にあたっても密接に繋がっていたことが想像できる

  3. 桃沢匡勝先生が、多摩川梨(玉川ナシ)産地の持つ技術に対し、敬意を払っている様子がうかがえること。

  4. 坂口勇先生が、害虫の発生を予察し、効率的な防除を実施している中心的人物として評価していること。

これらの点から、坂口勇先生がより、玉川ナシ、稲城の梨にたいして貢献していたことが想像されます。
桃沢式・坂口式は管内の産地によっては関係の度合いは違いますが、多摩川沿岸の梨産地全体としては、坂口式を採用していたと行っていいようです