三百年の歴史

 

稲城 梨の歴史

稲城市の梨栽培は、元禄時代(西暦1700年頃)、当時の代官が京都旅行の際に梨の木を持ち帰り、始まったとされています。明治時代には本格的な組合ができ、大変梨つくりが盛んになりました。

熱心な生産者により、品種改良も行われました。基幹品種 稲城 青梨の青玉・杉山・加弥梨などが産声をあげました。

明治初期には栽培者が増えました。明治17年(1884年)には、有志13人による組合的組織が発足されました
明治33年には多摩川下流域の大師河原村(現在の川崎市川崎区大師町)より、長十郎という品種を持ち帰り、栽培が広がりました。

当初は、栽培技術が伴わず、大きな被害を受ける年も多かったようです。先進地の福島・千葉・静岡などに視察に赴き、技術を向上しました。

その結果、昭和2年10月には天皇・皇后両陛下に献上するまでの産地になりました。また、同年には、多摩川両岸各地区の果樹生産の諸組合は、団結をし、これらの地域で生産される梨を「多摩川梨」の名称に統一し規模を拡大しました。

多摩川梨の木箱ラベル 【当時木箱に貼付されていたブランドラベル】
第二次世界大戦直後は、栽培が低迷しました。しかし、昭和24年ころより、少しづつ梨栽培が復興しました。昭和33年には稲城農協果実部と組織を改編しました。新体制では、出荷方法の改善・資材の統一・肥料の合理的一本化などを行いました。
同時に販売方法の大規模な転換をはたしました。 市場出荷中心から産地即売へと転換したのです。

(多摩川梨変遷紙1963年刊より抜粋)

  その後販売方法は、観光園や国道沿いでの販売などが中心になっていきました。昭和50年代後半になりますと、個人宅配便が普及してきます。その流れの中で贈答用発送の比率が上がってゆきます。 市内で育種された「稲城」という品種を中心に大変ご好評をいただいています。  

かれん

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